働く母。両立メモ

40代書籍編集者・ワーママ歴11年。子供は小6男子・小3女子。両立生活や仕事、学校、ママ友関係など、日々の気づきを綴ります。FP2級、家計管理の工夫についても。


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【44歳誕生日】娘をいつ産んだか忘れてしまった病院の老母に、感謝を捧げる

先月、脳出血の再発で緊急入院となった実家の母。

 

 

リハビリ病院に転院が決まりました。

脳卒中を発症し、入院した病院(急性期病院)は、基本的に3週間ほどで退院することになっています。あくまでも、医療を施す病院であり、病状が(良くも悪くも)安定したら、もうできる医療行為はなくなります。

とはいえ、じゃあ日常生活に戻れる体になっているかというと、脳卒中の場合、まずそれは難しい。脳の発症部位によりますが、麻痺だったり言語障害だったり認知障害だったり、何らかの後遺症が残ることが多いものです。

けれども、発症から半年くらいまでにリハビリを受ければ、回復が大いに期待できます。後遺症をゼロにはできないけれど、日常生活を送れるようになるのは十分可能です(もちろん年齢や症状の重さなど個人差はありますが)。

逆に言えば、リハビリを受けないと、そのまま寝たきりに…ということも。
今のリハビリの技術はものすごく、理学療法士さんたちが魔法のように、歩行困難な患者さんを歩けるようにしたりします。

急性期病院でもある程度のリハビリをしてもらえますが、あくまで補助的なもの。そこで次に移るのが、リハビリ病院(回復期リハビリテーション病院)です。

初めて母が脳出血を起こした3年前も、リハビリ病院に転院しました。
転院時には話す内容も支離滅裂で、認知障害が著しかった母。入院で足腰が弱り、倒れる前に患っていた背骨の圧迫骨折のせいもあって、ふらつきがあり歩くことがままならなかったけれど…

3ヶ月のリハビリ病院の入院で、ひとりで元気に歩き、階段も上り下りできるようになり、見守りがあれば日常生活も支障なく送れるようになった。

人間の回復力、リハビリの技術はすごいなあ…と驚嘆しました。
(残念ながら、せっかく戻した機能も、保つ努力をしなかったため、この3年でずるずる落ちていってしまいましたが…)

今回は、前回のような回復は期待できません。発症前から、すでに相当認知症の症状が進んでいたので…

でも、先日病院に聞いたところによれば、院内リハビリによって少しずつ歩く練習をし、自分で食事もとれるようになってきているとのことです。
転院して本格的にリハビリを受ければ(それはもうスパルタ^^;)、完全介護ではない生活を送れるのではと期待しています。


・・・・
話は変わりますが、昨日12月2日は誕生日でした。
44歳になりました。4並びの不吉な数字^^;アラフォー最後の年ということで…

家族の誕生日は近所のイタリアンでお祝いするのが、最近慣習になっているけれど。

 


こんな状況だし、外食せずに家でゆっくりでもいいかと。

昨年、私の誕生日に、調子に乗ってスパークリングワインを飲みすぎ、酔っ払って歩くのもままならなくなるという醜態を家族にさらしたこともあり^^;自粛の方向で。
(飲みすぎたといっても、お酒に弱い私のこと、せいぜいグラス2杯なのだが…)

食事を作るのは、もちろん夫^^;
先日の日曜の夜、お祝いをしてもらいました。リビングには子どもたちが作ってくれたオーナメントが。

 

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よく見ると、「ハッピーバースベイ」になってる^^;さすが息子…

 

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子どもたちがクラッカーで「おめでとう~!」と祝ってくれました。

料理は夫手作りのかぼちゃグラタン、きのことベーコンのアヒージョ。メゾンカイザーのバゲットを添えて。

 

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食後は新宿高野のケーキ。1人1つは多いので、4人分に切り分けて。

 

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そういえば、子どもたちが生まれる前は、給料日には必ず高野のケーキを買って帰り、夫と食べていたなあ。そんな贅沢な習慣はもうなくなったけれど。
相変わらず高野のフルーツは美味しいです。


・・・・
年々、誕生日は嬉しいものでなくなっていきます。また1つ年をとり、おばさんになる。さらにはおばあさんに、その先の死に、着実に近づいているということでもある(*_*)

けれども、こうして祝ってくれる家族がいること。
誕生日を祝うとは、すなわちその人がこの世に生まれたことを喜び、祝福するということ。自分が生きてここにいるのを喜んでくれる人がいることほど、ありがたく嬉しいことはないでしょう。

…まあ、自分は年をとっていくけれど、こうして次世代が育ってくるのだからいいか。誕生日は、そう思えるときでもあります。

そして、自分が子どもを生んでからは、誕生日の意味が変わりました。
それはもちろん「自分が生まれた日」だけれど、「母が自分を生んだ日」でもある。
母に思いを馳せるのです。

私が44歳になったということは、母が私を生んで44年経ったということ。その間の母の人生について、思いを巡らせます。私にしてくれたこと、思い出しては感謝の気持ちが湧いてきます。

…その母は、今病院ですが。3年前に倒れてから、私の誕生日が言えなくなっていた。今はもう、私のことも認識が難しくなっているかもしれない。

それは悲しいことだけれど…だからといって、母が母でなくなってしまったわけじゃない。母の中身が空っぽになっても、母はそこにあり続けています。

…それよりも、父の方がどうかと思う^^;
転院にあたっての書類を書いているということで、父から先日電話がかかってきました。

連帯保証人が必要で、それに私がなるというのは全然いいのですが、
「おまえの誕生日を書かないといけないんだけど。昭和52年生まれだっけ?」
…51年です。
「日にちは12月3日だったかね?」
…いいえ、2日です。

微妙に1つずつズレてる(*_*)
父の場合、忘れたというより、そもそも私の誕生日をちゃんと覚えていないんじゃないか…男親ってこんなもんですかね。

さすがに記憶が新しいので(?)、2日の当日には「誕生日おめでとう」のメールをもらいました。
これ初めてかも^^;父も初めて自信をもって「今日が娘の誕生日だ」と思えたのかもしれない(苦笑)


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