5月に封切られ、話題になっている映画『関心領域』を観てきました。
舞台は第二次世界大戦中、かのアウシュビッツ強制収容所、の隣に立つ収容所所長の家。
収容所の外壁の向こう側に、所長一家が居を構えている。広大な庭にしゃれた屋敷、戦時下とは思えない贅沢な暮らし。夫妻と5人の子供、そしてたくさんのメイド。
ひと言でいえば、その一家の暮らしをひたすら映し続ける映画。しかし、もちろんただのホームドラマではない。
壁の向こう側は収容所であり、そこでユダヤ人の虐殺が行われたのを、後世の私達は知っている。
壁と言っても大した高さではなく、建物がすぐそばで、あらゆる音が筒抜け。ボイラーのような音が常に聞こえてくる。あれは、ガス室で大量虐殺したユダヤ人の遺体を処理する焼却炉からの音…?
時折聞こえる怒鳴り声。悲鳴。看守と囚人のやりとりなのか…。パンパンッという破裂音も挿入される。囚人はちょっとしたことで、見せしめのために銃殺されたと聞いたことがあるが…。
音だけではない。所長宅の庭から見える大きな煙突から、もうもうと黒い煙が上がっている。それはやはり焼却炉からなのか…。
所長が職場から戻り、家に入る前に玄関で長靴を脱ぐシーン。その長靴をメイドが水場で洗い流すと、水が赤く染まっていく。
いったい、所長はその日、収容所の中でどんな場面に立ち会ったのか…。
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壁の内側である収容所内の具体的な惨劇は、一切見せません。かわりに、このような「気配」ですべてを表現している。
それがいっそう恐怖なのです。実際にはどんな惨劇があったかを知っているから、「あの音はこれか」と、否が応でも想像させられてしまう。
見えないからこその怖さ。これは非常に斬新な演出でした。
リアルな残虐シーンを見せられるよりも、想像させられるほうが、ずっと精神をえぐられる。上映中、終始「きっついなぁ…」と思いながら観ていました。
淡々と見せ、何も語らない。だから、よけいに考えさせられる。観終わったあと、しばらく心にダメージを負っていました。
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あらためて、アウシュビッツ収容所、ナチス・ドイツの蛮行について学びたくなりました。
「夜と霧」は定番として。
まさしくアウシュビッツの所長が、絞首刑になる前に残した手記があると知り。
ルドルフ・ヘスという名前。『関心領域』の監督は、ヘスの資料を集めて、可能な限り事実に近い人物造形をしたそうで。この手記も、もちろん重要な資料だったに違いない。
映画では、収容所から漏れてくる「気配」を、まるでないものかのように、平然と日常生活を送っているヘス一家の無関心ぶりを描いています。
しかし、収容所の内部に入らない家族はまだしも、所長のヘスその人は、毎日収容所に出勤し、トップとして虐殺の命令を下しているわけで。
本当はどう感じていたのだろうか…と気になった。
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手記を読んでみて、わかったこと。それは、ヘスは根っからの軍人だということ。
1900年生まれのヘスは、10代で兵士として、第一次世界大戦の戦場に出ている。それも自ら志願して。
一度は兵士をやめ、農業を始めるも、やはり軍隊に戻りたいとナチ親衛隊に参加する。
「この人はどうして収容所の所長などという職を引き受けたのだろう」と思っていたけれど、軍隊の中での出世の結果のポジション、なのですね。
戦うのが、軍隊に所属するのが大好きな人だったみたいです。
さんざん戦争に参加してきたから、当然人なんていくらでも殺している。敵に会ったら躊躇なく銃を向ける訓練を積んできている。
軍隊の中で、上長の命令は絶対。逆らえば失脚する(どころか、ナチスでは処刑されてしまう)世界。
アウシュビッツの中で大量虐殺が行われても、人の死に反応する神経は、とっくに麻痺していたのでしょう。
「ユダヤ人=敵」と総統(ヒトラー)が言うなら、敵を殺すのは当たり前。彼にとってはただの「仕事」なのです。
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驚くのは、ヘスが自分を「紳士」のように思っていること。
収容所では、彼の部下による囚人への虐待が日常的に行われていたが、「自分はそうしたことに心痛めており、断固として個人的な虐待はしたことがない」と胸を張る。
…ていうか、あなた何十万人もガス室送りにしていますよね?
虐殺の指揮はしても、それは「上からの命令」であり、囚人に個人的に「自分の嗜虐趣味を満足させるために」手を出したことはない。だから自分は決して悪人ではない…。
その論理の飛躍、大いなる矛盾を、疑いもなく内面化している。すごい精神構造だな…と寒気がする。
ヘスが現代に生きていたら、さぞかし優秀なサラリーマンになったのではと思う。上からの命令は絶対と、帳簿改ざんとか不正に平気で手を出しそう^^;
収容所の隣に住みながら、ヘスは結局、それほど心を痛めていなかったのだろうと想像します。
人の死にすっかり慣れきった、冷徹な軍人なので。職業人として、しっかり仕事をこなす(虐殺を完遂する)ことが、最大の関心事だったのだろう。
大変興味深く読みごたえのある本だったが、なんとも殺伐として救いのない、気持ちの暗くなる読了感でした…