働く母。両立メモ

40代書籍編集者・ワーママ歴11年。子供は小6男子・小3女子。両立生活や仕事、学校、ママ友関係など、日々の気づきを綴ります。FP2級、家計管理の工夫についても。


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【結婚20周年】再婚毒家庭に育った私が肝に銘じてきたこと〜夫婦関係に「よけいな要素」を入れない。何事も2人で解決する

先日、結婚20周年を迎えました。

20年は磁器婚式と言うそうですね。25年の銀婚式まであと5年、50年の金婚式までは30年。まだまだですが…
とはいえ「20年」の重み。「よく続いたものだなあ」としみじみ思います。

 

 

結婚したとき、私は24歳でした。20年前の当時でも、20代前半の結婚は少数派だった。友達の中でもトップバッターでした。

就職してまだ2年目。結婚願望があったわけじゃない。まあ出会い、縁ですよね。人生とはそういうものだと思います。

もちろん「結婚したい」と思って結婚したわけだけど、2人で婚姻届を区役所に出しに行った後、すでに一緒に暮らしていた部屋に帰り、
「籍入れちゃった。もう後戻りできない…」
と夫にこぼしたことを思い出します。

まだ若かったのね…。親の籍から抜け、名字も変わったことに、大きく心が揺れてしまった。気持ちがついていかず、「どうしようもないことをしてしまった」という不安と後悔がどっと押し寄せたのです。

そんな私に夫が言った言葉。

「たかが戸籍を変えたくらいで人生が決まるわけじゃない。いつだって離婚できるんだからさ」

…あっ、そうだよね。
何も自分が自分でなくなったわけじゃない。結婚したって私は私。何も変わったり決まったりしないんだ。
そして、私にはいつだって離婚する「権利」があるんだ。

…そう思ったら、すーっと気持ちが楽になったことも、また思い出します。

ありがたいことに、その「権利」をお互い行使しないまま、ここまで来ることができました。この先も行使せずに済むことを祈るばかりです。

…いや、それは祈るものではないですね。努力するものです。
他人同士が共に暮らすということ。そこに関係を保つ努力がなければ、ちょっとしたことで簡単に壊れてしまう。

結婚式の日、義母から、夫の子供の頃の写真を集めたアルバムとともに、吉野弘氏の「祝婚歌」が書かれたカードを贈られました。

今でも大好きな詩ですが、その中の
「立派過ぎることは
長持ちしないことだと
気づいているほうがいい」
という一節が、夫婦関係の真髄として、深く心に残っています。

ともかくも、互いに弱いところをさらけ出し合い、労り合いながら、馬鹿話ばかりして笑い合いながら、一緒に生きてこられたかなと思います。


・・・・
たびたび書いていますが、私の育った家庭は機能不全家族、はっきり言って毒家庭でした。

 

 

どの家庭にも、大なり小なり問題はあると思いますが、わが家の場合は家族構成の前提条件からして問題だらけだった。

父は当時4歳の姉の面倒をみてもらうために。母は高齢の親(私の祖母)の老後をみてもらうために。
それぞれがそれぞれの思惑で結びついた、こぶ付き同士の結婚。

…まあうまくいくわけがない。
母はいつも祖母の言いなり。祖母は姉がかわいくない。姉をかわいがらない祖母に対して、父は敵意を抱く。そんな父に対して祖母も敵意を抱く。間に入る母は、最終的には祖母の味方につく。それによって父と母の関係が悪化する…。

この繰り返し(*_*)
父と祖母の対立構造で成り立っている家庭だった。父・姉vs祖母・母という。

私は家族で唯一全員と血がつながっている立場で「こうもり」的だったけれど、祖母にとってはただ一人のかわいい孫、やはり「祖母側」に入れられていた。

父と母はしょっちゅう喧嘩していたので、それはもう父の悪口を母や祖母に聞かされたもの。
一方で、父からも祖母や母の悪口を聞かされた。

姉と私は、「代理戦争」にもずいぶん使われていたなあと思う。
忘れもしない、母から聞いた話。
父に「あの子(姉)を不幸にしたら、みかこ(私)を不幸にしてやるからな」
と言われたと。ていうか、お父さん、私もあんたの子じゃん…
ていうか、その話を私にする母も母だ。


・・・・
中学生くらいまでの私は、母の味方をしていた。思春期も相まって、姉ばかりをかわいがる父を憎んでもいた。
父と喧嘩し、頬を張られて泣いている母に、「離婚しちゃいなよ」と言ったこともある。離婚した後の現実がどういうものか、もちろんわかっていなかったけれど…

しかし、長じるにつれ、わが家の「しくみ」がだんだん見えてきた。
悪いのは父だけじゃない。夫ではなく親の味方をする母も悪い。そして、年長者として大人な対応をせず、わがままに振る舞う祖母はさらに悪い。

子供の頃からかわいがってくれた祖母だけれど、高校生の頃には気持ちが離れていた。「あなたが一番悪いんじゃないの?」という思いがずっとあった。

どんなに子供のときに懐いていたってね、大人になって何もかも「わかってしまった」ら、そんなもの消えてなくなるのです。かわいがれば慕われるってもんじゃない。

祖母には申し訳ないけれど、10年前に祖母が亡くなったとき、私は悲しくなかった。言葉は悪いが、「毒家庭の登場人物が一人退場してくれた」という気持ちだった。
「これでようやく父と母の仲が本当に良くなる」とも。

中学生の頃は「離婚しちゃえばいい」と思っていた私だけれど、子供ゆえの浅はかさ。
大人になってからは、なんとか両親が離婚しないよう、仲良くいられるよう、間を取り持つ役を自ら担っていた。

幸い、ここまで離婚せずいてくれた両親には感謝しています。
感謝って、おかしな話ですが、それが素直な気持ち。親の仲の良い姿は、子供にとって何よりの安心材料なのです。


・・・・
そんな家庭に育ったから、結婚に対してまったく夢を抱いていなかった。現実しか見ていなかった。

でもそれが、よかったのかなと思います。
「いつでも離婚できる」と思ってスタートした結婚生活だったものの、私は離婚することに非常に恐怖を覚えていた。

なにせ父は一度離婚しており、姉も二度離婚している。「おまえも離婚するぞ~」と呪いをかけられているというか(*_*)

他の家庭の離婚について、とやかく申し上げる立場にはありません。それぞれに事情もあるでしょう。

ただ、こと自分自身については、離婚は絶対したくない。「親と同じ轍を踏みたくない」「この悪の連鎖を断ち切りたい」という悲壮な思いがあるわけです。

離婚に至る不仲にならないためには、私の育った家庭と真逆なことをすればいい。強烈な反面教師なんですね^^;

つまり、「よけいな要素」を入れない。
家庭をつくるとき、そこにいるのは自分と夫の2人だけ。

親との同居は絶対にしない。親は自分の子供の味方をするに決まっているから。
お金の援助もしてもらわない。お金を出してもらえば口も出されることになるから。(最初に家を買ったとき、頭金に少し借りましたが、全額返しました)

夫の愚痴や悪口も、親には言わない。
どんな問題も、夫婦2人で解決する。
子育て中はずいぶん母に助けてもらいましたが、あくまで「助っ人」。「実家に駆け込む」というようなことは一切しなかった。

親よりも夫。
というより、結婚してからはそもそも親とはたまにしか会わない、話さない。子供が生まれてから、ずいぶん交流が生まれたというくらい。
今は頻繁に連絡を取り合っているけれど、それは介護する側として、「頼られる」立場に変わっている。


・・・・
夫婦2人で、家庭を築く。

当たり前すぎることなのだけれど、それがなかったから、私の生家は機能不全に陥ったわけで。実は、相当意識して努力しないと、難しいことなのかもしれません。

これからも、何か起きたらすべて夫と乗り越える。常に2人で向き合っていく。
互いが一番頼れるのは、やっぱり互いだから。それがこの20年の重み。

「離婚する」ことが権利なら、「一緒にいる」ことも権利。
その権利を来年も、その先もずっと行使できるよう、努力していかないといけないなと思います。


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